前言:尋找寫作靈感?中文期刊網用心挑選的日語被動語態的漢譯,希望能為您的閱讀和創作帶來靈感,歡迎大家閱讀并分享。
在學習日語的過程中,我們發現在日語中頻繁地使用被動語態,比如,「子供に泣かれる」、「妻に死なれる」、「今、君に倒れられると困る」等等。相對于日語來看,我們在漢語表達的時候較少使用被動語態,而盡可能地使用主動句,使句子的表達很通順流暢。本文通過對中日兩國語言的對比,針對日語的被動語態的漢語翻譯進行研究分類,其最終目的是幫助中國日語學習者正確地翻譯并且正確地使用日語的被動語態。在中日兩國語言里,被動句在構成、意義、特征、分類等方面都存在不同點。主要以日本文學作品中出現的被動語態的漢譯版本為中心,進行考察。在日語里被動語態被頻繁地使用,而漢語在受到損害或者不愉快的情況下多用“被”字句。除此之外,如果動作的承受者在關系明確的情況下,也使用沒有被動標志“被”字的意義被動句。 一、「れる、られる」翻譯成漢語的“被” 在漢語當中,表示被動語態需要借助介詞“被”,比如“被捕”、“被保護”等。多用于書面語當中。“被”字句的主語多為已知的人或物,后面必須接動詞。常用于敘述句中,突出和強調所要陳述的內容、只用于表示陳述語氣和疑問句當中。參考以下中日被動語態例句,來分析被動語態的漢譯。 (1)原文:役に立たない手紙を何通書こうと、それが母の慰安になるなら、手數を厭うような私ではなかった。けれどもこういう用件で先生にせまるのは私の苦痛であった。私は父に叱られたり、母の機嫌を損じたりするよりも、先生から見下げられるのを遙かに恐れていた。あの依頼に対して今まで返事の貰えないのも、或はそうした訳からじゃないかしらという邪推もあった。(夏目漱石『こころ』)譯文:如果寫幾封沒用的信能使母親感到安慰的話,我并不怕麻煩。但是把這種事情強加給先生,卻使我很痛苦。我覺得被先生看不起,要比挨父親訓斥、惹母親生氣更可怕得多。我也疑惑過,至今沒收到先生的回信,不知是否就是這個原因。(董學昌訳)將日語中的「られる」翻譯成“被”,這種翻譯方法跟日語的原文保持一致,同時也符合漢語的語言習慣,翻譯成被動句。 (2)原文:それでいて私は少しの不足も感じませんでした。のみならず數ある同級生のうちで、経済の點にかけては、決して人を羨ましがる憐れな境遇にいた訳ではないのです。今から回顧すると、寧ろ人に羨やましがられる方だったのでしょう。(夏目漱石『こころ』)譯文:但是我沒有絲毫不滿。而且這數量在同學之中,還決不至于可憐到在經濟上羨慕別人的地步。如今想來,也許倒是被別人羨慕的吧。(董學昌訳)在這里作者是有意強調被人羨慕的語氣,有一種驕傲的語氣在里面,所以譯者在這里將其譯成“被”,不但使人物形象表現得淋漓盡致,而且也加強了其強調的語氣。 (3)原文:実をいうと、我々は隨分変な服裝をしていたのです。ことにKは風のために帽子を海に吹き飛ばされた結果、菅笠を買って被っていました。(夏目漱石『こころ』)譯文:說實在的,我們的服飾太寒酸了。尤其是K,他的帽子被風刮到海里,只好買了一頂草帽戴在頭上。(董學昌訳)以上所給出的例句,中日兩國語的被動語態的使用方法基本相似。因此,根據翻譯者的語言習慣,有的翻譯者就將其翻譯成“被”,除了“被”字句以外,日語的被動語態也可以翻譯成“叫、讓”、“由”、“給”、“所”、“遭、受、挨”等。 二、翻譯成“叫、讓”的情況 在《漢語大字典》中,表示被動除了介詞“被”,還有介詞“叫、讓”。例如,「你叫雨淋了嗎?∕雨に降られた」、「叫你猜對了。∕當たった。」中的“叫”可以和“被”相互換。“叫、讓”的具體使用方法。常用于非正式的口語當中,北方人比較喜歡使用“讓”字句。 (4)原文:宿直をして鼻垂れ小僧にからかわれて、手のつけ様がなくって、仕方がないから泣き寐入りにしたと思われちゃ一生の名折れだ。(夏目漱石『坊っちゃん』)譯文:如果讓人家認為,在俺值宿的時候,受到乳臭未干的毛孩子們的戲弄,而俺竟拿他們毫無辦法,不得已只好飲氣吞聲,那將是俺一輩子的恥辱。(胡毓文訳) (5)原文:つまりは向から手を出して置いて、世間體はこっちが仕掛けた喧嘩の様に、見做されてしまう。大変な不利益だ。(夏目漱石『坊っちゃん』)譯文:也就是說,明明對方向你挑戰,但卻讓一般人看成是由你向他們無理取鬧,這必然要吃大虧。(胡毓文訳)以上兩個例子中中譯者將其原文的被動句都譯成了“叫、讓”,“叫、讓”,在口語中比“被”字句更自然。北方人經常使用“讓”字句。譯者在翻譯的時候常常會考慮到原文的創作背景以及作者的表現習慣,從而選擇適當的方法進行翻譯。翻譯可謂是仁者見仁智者見智,不能一概將日語的被動語態全部翻譯成漢語的“被”字句,有時會讓人產生異議。 三、翻譯成“由”字句的情況 (6)原文:私はテニスとバスケット•ボールをやっています。バスケット•ボールのチームは患者(というのは嫌な言葉ですが仕方ありませんね)とスタッフが入りまじって構成されています。でもゲームに熱中しているうちに私には誰が患者で誰がスタっフなのかだんだんわからなくなってきます。これはなんだか変なものです。変な話だけれど、ゲームをしながらまわりを見ていると誰も彼も同じくらい歪んでいるように見えちゃうのです。(村上春樹『ノルウェイの森』)譯文:我在打網球和籃球。籃球隊是由患者(我并不愿這樣稱呼,但沒有辦法)和工作人員混合組成的。但玩到興頭上,我便分辨不清誰是患者誰是工作人員了。這么說是有些荒誕,雖說荒誕,而一旦玩起來,看周圍卻又的確覺得任何人都有些反常。(林少華訳)“由字句”表示未完成的事項。常用于含有命令語氣或者希望語氣的句型當中。在小說當中,日語的「れる、られる」翻譯成“由”字句的例子不多見。四、翻譯成“給”字的情況在《漢語大字典》中,表示被動語態的還有介詞“給”,多用于口語當中,表示的是既定事實。例如,「機器給弄壞了。」「屋子里給弄得亂七八糟。」「房子給火燒掉了。」等。具有遭受不好之意。#p#分頁標題#e# (7)原文:甘えるとつきとばされて、金がかかるって文句ばかり言われて、ずうっとそうだったのよ。それで私こう思ったの、私のことを年中百パーセント愛してくれる人を自分でみつけて手に入れてやるって。小學校五年か六年のときにそう決心したの。(村上春樹『ノルウェイの森』)譯文:剛一撒嬌,就給掄到一邊去,動不動就說我花錢手腳大,從來都這樣。一來二去,我就想:一定自己來找一個一年到頭百分之百愛我的人。小學五六年級時就下了這個決心。(林少華訳) (8)原文:まるでキズキ君が暗いところから手をのばして私を求めているような気がするの。おいナオコ俺たち離れられないんだぞって。そう言われると私、本當にどうしようもなくなっちゃうの。(村上春樹『ノルウェイの森』)譯文:覺得就像木月從黑暗處招手叫我過去似的。他嘴里說:喂直子,咱倆可是分不開的喲!給他那么一說,我真不知怎么才好了。(林少華訳) (9)原文:先生のこともっとよく知りたいのよ。とその子は言ったわ。私のこと知ったって仕方ないわよ、つまんない人生だもの、普通の夫がいて、子供がいて、家事に追われて、と私は言ったの。でも私、先生のこと好きだからって言って、彼女私の顔をじっと見るのよ、すがるように。そういう風に見られるとね、私もドキッとしちゃうわよ。まあ悪い気はしないわよ。それでも必要以上のことは教えなかったけれどね。(村上春樹『ノルウェイの森』)譯文:她說還想多知道些,我說知道又有什么用呢,無非在虛度人生,有個普普通通的丈夫,有個孩子,整天操持家務。“但我就是喜歡老師您”,她說,還定定地看著我的臉,一副小鳥依人的樣子。給她那么一看,我心里就有些發怵,倒不是覺得不舒服。可我還是適可而止,沒告訴她更多的事。(林少華訳)譯文中「剛一撒嬌,就給掄到一邊去」、「給他那么一說,我真不知怎么才好了」、「給她那么一看,我心里具有些發怵,倒不是覺得不舒服」將原文中的被動語態譯成“給”。這都是口語方面的內容,所以譯成“給”使表達非常的自然。也表示的是既成事實。中國南方人比較常用這種表達方式。有些情況下可以和“被”字句互換使用。但是,例文(9)中的被動語態翻譯成“被”的話,雖然意思上通順,但是整個句子的表達就會顯得很不自然。 五、翻譯成“遭、受、挨”得的情況 在《漢語大字典》中,“遭、受、挨”本來就具有被動的意思。表示受害的意思。例如,「遭受」、「挨打」、「挨罵」、「受罪」等。 (一)“遭” (10)原文:僕は九月になって大學が殆んど廃虛と化していることを期待して行ってみたのだが、大學はまったくの無傷だった。図書館の本も掠奪されることなく、教授室も破壊しつくされることはなく、學生課の建物も焼け落ちてはいなかった。あいつら一體何してたんだと僕は愕然として思った。(村上春樹『ノルウェイの森』)譯文:我本來盼望校園9月份一舉報廢才好,不料到校一看,居然完好無缺。圖書館的書沒被掠奪,教授室未遭破壞,學生科的辦公樓未被燒毀。我不禁為之愕然:那幫家伙到底干什么來著!(林少華訳) (11)もし斷られたら、私の運命がどう変化するか分りませんけれども、その代り今までとは方角の違った場所に立って、新らしい世の中を見渡す便宜も生じて來るのですから、その位の勇気は出せば出せたのです。然し私は誘き寄せられるのが厭でした。他の手に乗るのは何よりも業腹でした。叔父に欺まされた私は、これから先どんな事があっても、人には欺まされまいと決心したのです。(夏目漱石『こころ』)譯文:倘若遭到拒絕,我的命運不知又要發生怎樣的變化。但是,我站在跟以前完全不同的立場上,是能夠向新的天地展望的,所以要拿出這樣的勇氣,也不難辦到。然而我厭惡被人誘惑,最不能容忍的是受人欺騙。受過叔叔的欺騙之后,我下了決心,今后無論發生什么事,首先不能讓人蒙騙。(董學昌訳)譯文「圖書館的書沒被掠奪,教授室未遭破壞,學生科的辦公樓未被燒毀」、「倘若遭到拒絕,我的命運不知又要發生怎樣的變化」中的“遭”,都表示對于主語不利的場合,一般不單獨使用,常用“遭受,遭到”這樣的復合詞。 (二)“受” (12)原文:私は彼に欺むかれたのです。しかも血のつづいた親戚のものから欺むかれたのです。私は決してそれを忘れないのです。(夏目漱石『こころ』)譯文:我是受了旁人欺騙。而且是受了骨肉至親的欺騙。我決不會忘記這件事。(周大勇訳)譯文「我是受了旁人欺騙」中的“受”表示不好方面的。“受”后面常常接“虐待、剝削、壓迫、訓(練)、壓制”等動詞。表示不好方面的詞匯還有“受涼、受苦、受暑、受病”等,構成表示感情方面的動詞。 針對日語被動語態的漢譯,進行了具體的分析。日語的被動語態翻譯成漢語時候,大致分為兩種情況。一種翻譯成主動句,另外是有被動標識的“被字句”,以及借助介詞“叫、讓、給、遭、受”等。